劣化する恐怖と逃亡

お遊びの記録と、劣化への恐怖の備忘録

~プロローグ~ 人間の劣化の恐怖

人間は同じ場所、同じ環境、同じ人間、同じ生活リズム、などなど、同じ状況で生活し続けると、その生活に慣れ親しんでいくと、自身を通して感じる時があります。
自分が置かれている環境に慣れ親しむことは、生活における緊張感が和らぎ、効率的に活動することができるので、とても生活が楽になっていくと感じていました。

ですが、その慣れ親しむことは、自分への甘えがどんどん大きくなり、自分勝手になっていきます。
そしてその自分勝手さは、他人に対して自己都合の許容を強要させたくなります。
その結果が、他人が許容してくれることが当たり前であると勘違いを生み、傲慢なお山の大将を完成させる。

東京の中でも都心に近く、地元民が存在しないようなエリアに住んでいても、その期間が10年にもなると、建物の劣化以上に、住民の劣化を感じざる得なくなりました。
それはたまたま自分が気付けたのか、それてもそれ自体が自分の傲慢さなのか、答えのない葛藤を続けていますが、現時点での答えは、劣化した建物の中で、劣化した奴らと住むことのリスクを負う時間を少しでも減らすべきである、ということです。

その為の活動を開始してみると、世の中は人間の劣化が至る所にあると気づかされます。
そしてその人間の劣化は、古くからその地に長く住み続ける人間や、その地に長く出入りするする人間によって進行させられていると、感じてきました。

慣れ親しむことの良さと、慣れ親しむからこそ甘えが発生して自分勝手なルールを作る傲慢さ、これは表裏一体かもしれないし、別々に論じられるのかもしれません。
そんな世の中の実態と見せかけに囚われたくはないですが、避けられない部分は楽しめる様になりたいと思って、自分なりの考え方や対処を、好き勝手に書きたいと思います。