劣化する恐怖と逃亡

お遊びの記録と、劣化への恐怖の備忘録

劣化は顔(見た目)から分かるのか

テレワークが続くと、いつの間にか雑談相手になってくれるyahooニュースに、AIが顔写真だけで9割の正答率で認知症を判定したという記事が掲載されました。
ソースはこちらのリンクです。
news.yahoo.co.jp

顔の上半分でも下半分でも、その正答率は90 %を超えているそうです。
顔の半分でも認知症を判定できるという、AIの技術力には脱帽です。
この技術があれば、認知症検査を受けることを嫌がる困った高齢者を、病院に連れていったりしなくても、認知症かどうかが分かるかもしれません。
そうすれば家族の負担も減るし、周囲の人達も認知症の人として対応できるので、心理的負担も大幅に減ると思ってします。

それにしてもこの記事は、将来的に見た目はだけで精神疾患や心理状態、さらには性格や人間性までもが、高確率で判断できる可能性を示唆しているかもしれません。
人は見た目で判断するなと、小さいころから教え込まれてきましたが、それはただのキレイごとで、実際は人は見た目で判断できるというのが、AIの回答となるのであれば、今後の倫理観も変わるのかもしれません。

人間の倫理視点において現時点では許されない事でも、人を見た目で判断できるのであれば、犯罪者や犯罪者予備軍、認知症精神疾患など、一般生活において予測不可能であった人災を予防できる可能性も見えてきます。
もしかしたら警察などによる検挙率が向上したり、GPSによるアラート発信などとの連携で、自己防衛も出来るかもしれません。
アラート対象となる人への差別や、判定ミスなどのリスクもありますが、昨今の認知症による事故を鑑みれば、多くの人を守る手段として期待してしまいます。

~プロローグ~ 人間の劣化の恐怖

人間は同じ場所、同じ環境、同じ人間、同じ生活リズム、などなど、同じ状況で生活し続けると、その生活に慣れ親しんでいくと、自身を通して感じる時があります。
自分が置かれている環境に慣れ親しむことは、生活における緊張感が和らぎ、効率的に活動することができるので、とても生活が楽になっていくと感じていました。

ですが、その慣れ親しむことは、自分への甘えがどんどん大きくなり、自分勝手になっていきます。
そしてその自分勝手さは、他人に対して自己都合の許容を強要させたくなります。
その結果が、他人が許容してくれることが当たり前であると勘違いを生み、傲慢なお山の大将を完成させる。

東京の中でも都心に近く、地元民が存在しないようなエリアに住んでいても、その期間が10年にもなると、建物の劣化以上に、住民の劣化を感じざる得なくなりました。
それはたまたま自分が気付けたのか、それてもそれ自体が自分の傲慢さなのか、答えのない葛藤を続けていますが、現時点での答えは、劣化した建物の中で、劣化した奴らと住むことのリスクを負う時間を少しでも減らすべきである、ということです。

その為の活動を開始してみると、世の中は人間の劣化が至る所にあると気づかされます。
そしてその人間の劣化は、古くからその地に長く住み続ける人間や、その地に長く出入りするする人間によって進行させられていると、感じてきました。

慣れ親しむことの良さと、慣れ親しむからこそ甘えが発生して自分勝手なルールを作る傲慢さ、これは表裏一体かもしれないし、別々に論じられるのかもしれません。
そんな世の中の実態と見せかけに囚われたくはないですが、避けられない部分は楽しめる様になりたいと思って、自分なりの考え方や対処を、好き勝手に書きたいと思います。

ブログ紹介

アクセスしてくれて、ありがとうございます。

meの夜の街のお遊びmemoryを忘れないように、
そしてmeが感じる心の劣化の恐怖を、二大柱として日記形式で書いていこうと思います。

ウルトラ暇な時にでも、読んでください。